ジエツサワ その4(最終話)

まつやん

2007年10月07日 19:35

…その3から続く


「でかい…。」

少なく見積もっても50cm以上はある。
もしかしたら65cmくらいはあるかもしれない。
1m位の深さに定位しているが、水がきれいなせいもあり、
一目見てイワナとわかる斑紋が背中にあるのが見える。
魚がでかいので、斑紋の大きさも半端ではない。
口にフライが刺さっているはずなのに全く意に介さず
定位している。
リーダーとティペットは5xに変えていたが、
太刀打ちできる魚ではない。
とりあえず7~8m離れたところからゆっくり、
でもかなり力を入れて引っ張ってみる。
すると一瞬魚はこちらを向いた。
引っ張られて魚体がこちらを向いたのではなく、
まるで、私を確かめるかのように頭をこちらに向けたのである。

その後また上流を向いて定位したが、おもむろに反転し、
下流に向かい始めたのである。
走る、というよりは流れに身を任せて、
流れと同じ速度で下流に向かっていった。
当然私もそれについていく。
何とか、ラインを10mくらいに保ったまま、
同じ速度で川を下っていく。
その魚は暴れているわけではないが、
大きい上に流れの抵抗が加わり、引き寄せるのは不可能である。
でも、なんとかしたいという一心で魚についていく。

「どこまで行くんだよ!」

そう思いながら、魚と一緒に下流へ下流へと移動する。
それにしても大きい。
太さはまさに一升瓶、長さは一升瓶よりも長い。
それにしても緑色の背中の斑紋がすごい。
魚類というよりハチュウ類の雰囲気がする。
その大イワナはなかなか下流に行くのをやめない。
そして、数時間かかって釣りあがってきた区間を
この大イワナと一緒に10数分で戻って来てしまった。
なんと入渓点まで戻って来てしまったのである。

そこで大イワナは一度下流へ下るのを止めた。
そして一度こちらを向いたかと思うと先ほどとは違う速度で
、今度は下流に向かって走り出した!
あまりの急なスピード変化に焦って走り出そうとすると、
底石ですべった!

「マジで!?」

大イワナがかかっているのに!

と思った瞬間

「バシャン!」

なんてこった、今日2回目の転倒、水没…。
でも、あんだけ釣ったからいいか、
でも本当に過去に行っていたらどうやって戻ったらいいんだろ…。

そう思いながら、川の中から立ち上がる。
と、目の前の川岸に朽ち果てた缶コーヒーの空き缶が。
ということは現代に戻ってきた!?
空き缶を見て、心の底からほっとしたのはこれが始めてである。
時計を見るとさっきまで止まっていた時間と同じであるが、
秒はちゃんと動いている。

「ロッドは!?」

ロッドは少し下流の岩に引っかかっていた。
慌てて回収しに行く。
ロッドを持ち上げると、プルプルとした手ごたえが!
一瞬、あの大イワナか!?と思ったがさっきまでの重さではない。
ラインをたぐると、20cmに満たない小さなイワナが
かかっていたのである。

あの大イワナはどこに行ったのだろうか?
それよりさっきまでの釣りは現実だったのか?
転倒した瞬間のショックで見た夢のようなものだったのだろうか…。

そんなことを考えながら、その小さなイワナの写真をとろうとしたら、
今度は何事もなかったようにカメラの電源が入った。
2,3枚ぱちりと写真に収め、リリースしようとして
フックを外した瞬間、心臓が止まると思うくらいドキッとした。
フライを見ると、ぼろぼろになっており、
ハックルがなくなっていたのである!

この小さなイワナでこんなになるはずがない…。
やはりさっきまでの釣りは本物だったんだ!
確かに右腕もかなりだるい。
(転んだ時に腕に力が入ったんだよ、
と言われるとそれまでであるが^^;)

足も結構がくがく来ているし。
(入渓するときの斜面を下るので、
へろへろになったんだよ、といわれるとそれまでであるが(爆))

写真にはもちろん残っていないが、記憶とフライに
さっきまでの釣りが鮮明に残っている。
腕時計の時間から考えると、入渓したばかりであるが、
満足感は十分あったし、何より気味が悪かったので、
その日は入渓点から帰る事にした。

きつい斜面を登りながら考えた。
あの場所で転倒して、水没したことが
変なことが起こったきっかけにしか思えない。
とすると、もしあの大イワナが、
入渓点まで連れて来てくれなかったら?
もしかして、この渓で行方不明になる釣り人って、
現代に戻ってこれなくなった人だったりして…!?
こんなことを真剣に考えている自分を客観的に見ると
かなりおかしいが、やはりどうしても考えてしまう。

そんなことを考えていると、やっと林道に出た。
林道に出るまででかなりの運動になっているので
寒くはなかったが、さすがに全身びしょびしょで気持ち悪い。
入渓点の目印である「ジエツサワ」の看板を見ながら着替えていたが、
いつもはそんなことを考えないが、
今日は「ジエツ」という文字を見て思わず頭の中で
漢字変換したのである。

「ジエツってもしかして『時越』?」

もしかして、今日の私と同じ体験をした人が、
その体験を沢の名前にして残したのかもしれない…。

着替えを終え、林道を帰る途中こう考えていた。
今日のことは誰にも言うまい。
言ったところで信じてもらえない。
信じてもらおうとして具体的に説明すると、
この場所にきて、興味本位で試すかもしれない。
そんなことをして知り合いが本当に過去に行って、
それだけならまだしも、現代に戻ってこれなくなって
行方不明なったりしたら、たまったものではない。

しかし、これだけは確信できる。
私は太古のH川で釣りをしてきたのだと。

さて、この話は誰にも言うまい、と思った私であるが、
何故このように話す気になったか。
それは、ちょうどあのH川の「ジエツサワ」より下流にダムが建設され、
あの転倒、水没ポイントはもちろんのこと、
ジエツ沢の看板も、林道も水没してしまったからである。

現在は以前の林道の、ダム湖を挟んでちょうど対岸に新しい林道ができている。
この話を聞いて、もし半信半疑で確かめようとしても
もう確かめる術はない現在、この話をしてもいいかなと思ったのである。
(渇水になると林道の一部は見えるのであるが…)

この話を聞いて、信じる人はまずいないだろう。
でも、私は確信している。
あれは夢や幻想なんかではなく、私は本当に太古のH川で釣りをしたのだと。
太古のH川の素晴らしさやきれいな渓魚の姿は
いまでもこの目にしっかりと焼きついている。

PS
あのぼろぼろになったエルクヘアカディスは
フライボックスの中で殿堂入りしている(笑)


(フィクションだと思うんですけど…^^)

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